関根潤三(せきねじゅんぞう)
1927年(昭2)3月15日、東京都生まれ。日大三中(現日大三高)から法大に進み、投手として東京6大学リーグ通算41勝。49年10月には、来日した米3Aサンフランシスコ・シールズ相手に延長13回を投げ抜いた。50年近鉄入団。投手として通算65勝を挙げ、57年に志願して打者に転向。打者としては通算1137安打、59本塁打を放った。防御率10傑入り1度、打撃10傑入り5度を記録。オールスターには5度出場し、53年は投手、63年は外野手としてファン投票選出(51年選出されるも不出場)。65年に巨人で1年間プレーし引退。引退後は70年の広島打撃コーチ時代に山本浩、衣笠らを育て、巨人では75年ヘッドコーチ、76年2軍監督。大洋(現DeNA)、ヤクルトでは監督を務めた。03年野球殿堂入り。現役時代は173センチ、65キロ、左投げ左打ち。
わさび
私の知る関根潤三さんは、ヤクルトスワローズの監督でチーム率いていました。故野村監督前までのチームの基礎をノビノビ野球でチーム力をつけていきましたね。当時チームには広沢克己、池山隆寛、ギャオス内藤などが関根監督の元大きく成長していきましたね。
池山のブンブン丸の愛称も当時のモノでした。
また監督を退くとフジテレビの野球解説者としてもいつも笑顔で時には驚かすような質問を選手に飛ばしていました。
最近は関根さんの事を耳にする事は無かったので・・・。
最近は多くの野球レジェンドの皆さんとの別れが続いているように思えます。寂しい限りです。
野球の楽しさを教えて頂いた関根潤三さんありがとうございました。
心からご冥福をお祈りします。
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